Saturday, July 01, 2006

尺岳の肩と鱒淵ダム

小倉戦争の最中、藩主が亡くなったことを、長州藩どころか江戸幕府にも隠して、密かに城内の敷地に埋めたままにして逃げた。
さて共に戦った熊本細川・肥後藩兵が逃げた後、小倉藩士・島村志津馬たちが、城内を占拠する長州藩兵士と戦い、それを掘り出して奪い返した。
筑前藩との境、田代から尺岳の肩を越えて、やっとこの辺りまで来た。

後にここに門司市の水源としてダムが出来、その後拡張して小倉の水源にもなり鱒淵ダムになった。
その尺岳までの道を探そうとしたが、もう私の歳では無理だろう。