Friday, July 07, 2006



















今日は 7・7です。

1937年(昭和12年)7月7日の夜10時40分だった。北平の西方10キロあまりの盧溝橋付近で、夜間演習中だった日本兵1個中隊に対して、何者かの発砲事件が起こった。直ちに豊台から現場に急行した第3大隊と現地中国軍との間で小競り合いが行われた。
中国軍からの発砲であるというものあり、日本軍からの発砲であるというものもあり、特務機関が発砲したのだという説もあった。
しかしただちに現地では一応の停戦が成立した。
ところがこれを契機にして廊坊・広安門事件が起き戦火が華北全体に燃え広がった。
そして7月28日兵力を増強した日本軍は、北平・天津地方に総攻撃を開始したのである
永定川にかかる盧溝橋は別名マルコポーロ・ブリッジと呼ばれ、きれいな大理石造りの橋であった。
私がここは訪れたのは1972年1月のとても寒い日だった。ここには日本人は立ち入ることができず、私はごく珍しい例だったと思う。
本当に美しい石橋を見て、私は深い感銘を受けた。
ここからあの8年にわたる全面的な日中戦争が開始されたのである。

私たちの若い頃は、夏といえばまずこの7・7記念集会から始まった。
そして今では多くの人から盧溝橋事件は忘れ去られ、今日の新聞は、朝刊も夕刊も一言も触れず、何か言おうものならチンケな事件であったとすら言う者もある。
本当に今の日本は、享楽狂乱な時代になった。

写真
右が盧溝橋付近、左は京漢線の鉄道、上部の四角な城壁が宛平県城。

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