Saturday, July 22, 2006












大王のひつぎ海をゆく

今朝早くから、ジー、ジーとセミが鳴き始めました。
もう夏はすぐです。

そういえば、思い出すと去年も非常に暑い夏でした
7月24日空は限りなく晴れていました。
宇土マリーナのスロープにたくさんの人が集まっていました。小学生、中学生、町の人、考古学と歴史学者、そしてたくさんの海の男たち。
それらの人々が古代船「海王」と二隻の台船「火の国」「有明」を注目していました。
「がんばれ」「ご無事で」太鼓が鳴り花火が上がりました。
阿蘇のピンク石で造られた石棺を大阪まで運ぶのです。
重さが8トンにもなる巨大な石棺を曳いて、古代船で、人間の力だけで海を乗り切っていくのです。
漕ぎ手は水産大学カッター部員の学生たちです。
時間が迫ってきます。平静を装いながら、慎重に航海出航命令が発せられました。ロープが解かれ、強くオールが海水をとらえた。

「海王」船団の第一歩が始まったのです。
「ソーレ」「ソーレ」大勢の掛け声で海に滑りだしました。
やっとその日が来たのです。第一歩が始まったのです。
十八本の櫂を握る学生たちと、船の船長役の艇指揮、操舵担当の艇長総勢二十人で繰り出すのです。

電子機械と動力推進で世界中どこにでもいける現代の船乗りとは全く違ったやり方で、古代の人々がどの様にしてこの大航海を成し遂げたか、自然というものを巧みに読み取り、それをうまく使って海に乗り出す古代の人々は、どのような知識があったのか、どのような力があったのか。

航海では本体を積んだ大王の棺「火の国」と、その蓋を積んだ「有明」が進んでいきます。
普段は1トンのカッターを漕いていた男たちが、4トンの「海王」で8・3トンの「火の国」と4・4トンの「有明」を曳いていくのです。

「ソーレ」「ソーレ」掛け声をかけながら、船団は島原半島の先端にある口之津に向かって進んでいきました。

湯島北東を過ぎた頃、口之津海上技術学校端艇部の口洋丸が合流してきました。海の男、女たち、みんなに見送られて進んでいくのです。

若者の夢と希望を載せて古代船実験航海は進んでいきます。

<この稿続く>